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DATALE創業2周年記念コラム――挑戦する心が未来を拓く

 「本気で何かを成し遂げるためには、時に予定調和から外れ、未知の可能性に挑戦する勇気が求められる」ーーー。

2024年6月、株式会社DATALEは創業2周年を迎えました。

この節目にあたり、3年目のスタートを飾る特別対談をお届けします。今回お招きしたのは、DATALEがスポンサーとして支援しているレーサーの藤田真哉さん。AmazonでのITキャリアと並行しながら、40代からアマチュアレーサーとして数々のレースで活躍し、その挑戦する姿勢で多くの人々に勇気とインスピレーションを与えています。

本対談では、「チャレンジ」をテーマに、なぜDATALEが藤田さんを応援することになったのか、その背景にある「挑戦」の精神と、それがもたらす可能性について深く掘り下げます。年齢や状況に関係なく「挑戦すること」の大切さと、予定調和から抜け出し、可能性を信じて挑戦することの大切さを皆さんと共有できればと思います。

~対談したひと~

藤田 真哉さん(アマチュアレーサー)
幼少期からスポーツに情熱を注ぎ、特に野球とモータースポーツへの愛情を深めてきました。社会人となってからもその情熱は衰えることなく、コロナ禍をきっかけに長年の夢であったレーサーとしてのキャリアをスタート。リクルートで10年(働きながらMBA取得)、現Amazon勤務と社会人として確立したキャリアを持ちながら、未知の領域であるレースの世界へ飛び込む決断と、その背後にある強い意志と行動力は、多くの人々に「自分も挑戦してみよう」という勇気を与えてくれることでしょう。

板谷越 英美(DATALE代表)
DATALE創業者。インフラエンジニアや前職リクルートでの開発マネジメント、ビックデータ活用企画・分析などで培った豊富な経験とデータ活用の知見を武器に、企業や個人がデータを通じて新たな可能性を発見し、成果につながる未来を切り拓くサポートを続けています。常に「挑戦」と「変革」をキーワードに、多様なプロジェクトを成功へと導いています。

■藤田さんの活動を応援することになった背景

板谷越:AmazonでITの仕事をしながら、しかも40代から!アマチュアレーサーとして活動していることを共通の友人を通して知る機会があり…常識では考えられないような意思決定をしていた藤田さんの姿に強い共感を覚えました。このチャレンジに、私はイエスと言いたかったんです。サイモン・シネック氏が提唱するゴールデンサイクル理論にも、“人間は最終的な意思決定をするときに感情でしか判断できない”いう話がありますが、損得ではなく、この意思決定を応援することで、DATALEにとっても見えない可能性が見えるような気がして、二つ返事で支援を決めました。

藤田さん:この時、すごく嬉しかったことを覚えています。何の実績もなくて、レース初心者を応援しようというのは、親族でもない限りなかなかない世界です。そんな中で、自分のチャレンジに対して応援してもらえるのは有難いけど、本当にいいのかな?と思いました(笑)

■なぜ、40代になってからレーサーに?

板谷越:子どもの頃からレーサーに憧れていたとのことですが、どんな子ども時代を過ごされていたんですか?

藤田:とにかく体を動かすことが大好きでしたね。小学生の頃は野球が好きで、近かった名古屋球場に、よく自転車で通っていました。7回を過ぎると球場に入れてもらえるんで、それを狙って。スポーツ全般が好きで、近所の人を巻き込んでマラソン大会や自転車レースをやったりして、みんなで何かをする場を作ることも楽しかった記憶です。

板谷越:そんな中で、レーサーを目指そうと思ったきっかけは何だったのでしょう?

藤田さん: 初めてテレビでレースを見た時、衝撃を受けたんです。F1が盛り上がる前だったんですが、そこからレースの世界に夢中になりました。野球選手とレーサー、二つの夢ができましたね。でも、レーサーになる方法がわからなくて、いろいろ調べた結果、カートを始めるのがスタートだと知りました。そんな時、通学路にカートを持っているお金持ちの家を見つけたんです。相談すればカートについて教えてもらえるかもしれないと子ども心に思いましたが、勇気が出ずにピンポンを押せなかったんですよ。

板谷越:その後、レーサーへの道はどのように進展したのでしょうか?

藤田さん: 正直、当時は進展せず、野球を続けていました。そして気づけば大学や仕事に集中する中で、レースは「見るもの」になっていました。レース観戦はずっと大好きで、海外にまで足を運んでいましたね。転機となったのは2019年のコロナです。行動制限が厳しくなっていくと同時に大好きなレースが観戦できなくなり、配信もなくなり、レースが味わえなくなってしまったんです。同時に沢山の方が亡くなっていって…「いつ死ぬかわからない」「後悔のない人生を生きたい」と強く思うようになりました。

板谷越:それでやりたいことに向き合ったというわけですね。

藤田さん:そうなんです。まず初めに、私が子供の頃からずっと憧れていたスポーツカーを購入しました。ただいざ乗ってみると公道ではその性能を活かしてあげられないことに気づき、サーキットを走ってみたいと思うようになりました。

調べてみると、プロの方がサーキット走行のレッスンをしてくれる練習会があって、思い切って参加してみたんです。そこで、アマチュアレースの世界に触れて、年齢に関係なく挑戦すれば夢に近づけるかもしれないと気づきました。実際に50代で活躍しているトップアマチュアのドライバーもいましたし、どうすればそのレベルにたどり着けるのか、一緒に考えてくれる人もいて・・。まったくゼロの初心者から3年でハイレベルなアマチュアドライバーになるためにはどうすれば?と3年計画を立てて挑戦を始めました。

板谷越:3か年計画!これまでビジネスで培ってきたことも強い武器になりましたね。それでも40代でレーサーを目指すのは勇気のいる決断ではなかったですか?

藤田さん:そうですね。コロナ禍で人生の有限性を強く感じ「今やりたいことをやらないと後悔する」と思えたことは本当に大きいです。40代になってからでも遅くない。子どもの頃にピンポンを押せなかった自分を思い出し、「今なら押せる」と思いました。

■藤田さんが挑んできた3年間

板谷越:実際にどんな3年間になりましたか?

藤田さん:1年目は、主催者さんがレースカーを用意してくださるので比較的挑戦し易く、公式レースの基本も学べる「Audi A1」のワンメイクレースに参戦しました。このレースでは年間4戦中2戦で1位を獲得し、年間チャンピオンを獲得できました。

2年目は、さらにスキルupと経験を積めるレースに挑戦したくてトヨタの「86」を使ったレースに参戦しましたが、FR車やマニュアル車での走行は教習所以来で、最初はとても苦戦しました。でも必死に練習して・・その時の成長感や伸びしろを今のチームの監督さんが見てくださり、現在のチームと契約していただくことができました。

そして3年目には、「スーパー耐久シリーズ」に出場。これはプロとアマチュアが一緒にチームを組んで戦う大規模な耐久レースのシリーズで、私は規定で必ず一定時間を走らなければならないAドライバー(アマチュアドライバー枠)を務めています。開幕戦では2位、続く第2戦の富士24時間レースではチームの戦略が見事にハマり、優勝することができたんです。

今後はさらなる高みを目指し、シリーズチャンピオンを狙っています。

板谷越:改めて、映画のようだと例えても誰もが頷くほどのストーリーだと思いますが、厳しい環境の中でも「こうなるぞ」「こんな未来を見るぞ」「こういう状況をつくるぞ」ということを決めて、そこに向かい続ける想いと行動の直結性が藤田さんの強さですよね。

そしてその距離を近づけたのは紛れもなく努力。ビジネスというフィールドに入って、生計をたて、そのあとスポーツ観戦も極めて、コロナで楽しみを召し上げられてレーサーに・・本当によくやりましたね!!

藤田さん:ありがとうございます。

板谷越:分岐点があったときに、何を選ぶかで決まる(ジャンクションポイント)とはよく言いますが、大人になればなるほど、このジャンクションが動かなくなるケースが多いと思うんです。不安はなかったんですか?

藤田さん:3か年でどれくらいお金を使うんだろうとか、生活は成り立つのか?など、色々と思うことはありました。でも、今までのキャリアを通して「なんとかなる」という気持ちはありました。当時出会った方々も皆さん本当に良い方々で、その人たちと一緒にやれるならどうなっても後悔しないだろうと。やるなら人生をかけてやるという気持ちでしたし、その結果何か失うことがあるかもしれないけど、死にはしないし、後悔しないと思えたんです。

板谷越:藤田さんが今レースをやっていて、リクルートやAmazonで培った計画立案遂行能力なども、今に至るプロセスのなかでしっかり活きていますよね?レースをやり始めたのはジャンクションポイントで意思決定したからだと思いますが、その時、その選択ができて、今の環境があるのは、これまで積み重ねてきた経験や学びや出会いが、まるで潤滑油のようになってジャンクションの切り替えをスイッチしやすくしていたのかもしれませんね。遠回りのように見えて、40代がベストタイミングだったのかも。

藤田さん:不安に飲み込まれなかったのは、そういうことなのかもしれません。

■挑戦の先に

板谷越:最後に・・藤田さんは今の挑戦の先に何をみていますか?

藤田さん:人生は予想もしない方向に進むことがあります。私自身、数年前には想像もできなかった環境にいますが、その理由は一つ。自分の人生に対して本気で挑戦し続けたからです。そして、挑戦する過程で気づいたのは、やっていくうちに周りに応援してくれる人が増えていくということです。

自分が「こんなおじさんでもレースに出られる」と証明することで、「だったら俺もやってみよう」と、他の人にも新たな挑戦のきっかけを与えられる。これが、今私が最もやりたいことの一つになっています。

板谷越:挑戦の最初の一歩は、自分自身を信じることなのかもしれませんね。可能性をまず自分で信じてやれるかどうか。そして、その姿を見て仲間ができる。これはレーシングに限らず、データ活用などのビジネスの場でも同じです。例えば、これまでの常識や困難に阻まれて「できない」とあきらめている人が、何かのきっかけで踏み出すことができたら、そこに大きな可能性が広がります。どんなに障害があっても、やりたいことがあればそれを支える方法はある。

私は、データを駆使して、挑戦する力を持つ人たちと共に、その可能性を引き出していきたいと考えてDATALEを創業しました。

藤田さん:レーシングの世界でも、データ活用の世界でも、お互い挑戦する人々を支え、次の一歩を踏み出すきっかけを与えられる存在でありたいですね。

板谷越:そうですね。そして改めて大切だと思うのは、「後悔しない生き方を選ぶこと」。私自身も何度か大きな決断を迫られたことがありました。その時に迷いもありましたが、結果として後悔しない道を選んできました。特に大きな判断をする時には、「これで死んでも後悔しないか?」と自問することが多かったです。

人生は思ったより長いと言われますが、遅すぎることはありません。どんな年齢でも、新しい挑戦はいつだって始められますよね。

藤田さん:人生の中で、ジャンクションポイントは必ずあります。あきらめることなく、自分の可能性を信じて、その瞬間に飛び込む勇気を持ってほしい。それが、未来を大きく変える第一歩だと思います。

板谷越:本日はありがとうございました。藤田さんの挑戦から、多くのインスピレーションをいただきました。これからも藤田さんの意思決定を応援しています!

人生には、ジャンクションポイント――重要な分岐点が必ず訪れます。そしてその選択次第で未来は大きく変わります。私たちDATALEは、創業当初より、「データ活用の力」でビジネスの成長に再現性を持たせ、すべてのビジネスパーソンに公平に届けたいと考えてきました。

藤田さんとの対談を受けて改めて思うのは、データ活用に挑戦するかどうか悩んでいる人にとって、その一歩を踏み出すジャンクションポイントになれるよう、常にサポートを続けていきたいということです。

データを通じて、ビジネスの新たな可能性を早く、確実に発見し、実現することにこれからも全力で取り組んでまいります。